坂東三津五郎の芸

川崎市の上村遼太くんが亡くなった事件では、

胸が締め付けられるような感覚に陥ってしまい、

未だ、その思いは継続している...。


あまりにも切なすぎて、

もう、この写真をアップしただけで、心がフリーズ。

日にちだけが過ぎ、3月1日になって入力している。

言いたいことはいっぱいあるのに、心が苦し過ぎて、私は何も書けなかった...。


遼太くんのことが頭から離れぬまま、

坂東三津五郎の死が飛び込んできて、ますます悲しい。


思えば、

八十助の時代から、一際、踊りが上手かった。

円熟の境地に入ってからは、まさに、「踊りの天才」。

三津五郎が舞台に上がると、自然な身体の使い方を、いつも見つめていました。



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↑ 山車の上の三津五郎は、2008年、1月10日当時。

色気はあまりなかったけれど、笑顔が優しく、笑顔がセクシー。

(色気と セクシーな笑顔とは、ちょっと違うの...)

この頃は、男としても波瀾万丈。油の乗った時期だったかなぁ。



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↑ 代表作「喜撰」 で、坂東三津五郎襲名披露。2001年1月2日。

手先、足先、肩も腰も、頭の位置も、小作りな三津五郎が大きく見える芸。



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ご長男巳之助を中心に、お嬢さんお二人の喪服姿は痛々しい。

闘病生活の果てであったから、覚悟はあられたことと思う...。

でも、

ご家族の思いは、他人とは別のところにある。


三津五郎の踊りが楽しみだったファンとしては、

巳之助の成長に、どうしても期待が掛かってしまうから、

これからは、

巳之助の肩越しに、三津五郎を感じて行くのだと思う...。



歌舞伎役者の家の子は、

生まれた時から、「歌舞音曲」を垂れ流しにされた中で育つ。

加えて、DNAも多少はある。(DNAのありようは、ひとりひとり違っている)

それに、

環境という、「歌舞伎の匂い」 を嗅ぎながら育っている。


坂東流家元の踊りが、しかと継承していかれるのを眺めていたいが、

自分の歳を思うと、見届けられぬかもしれない。



三津五郎は、

自分の踊りが よいものだと知っている筈だけれど、

自然体で、気負わない。


どれだけの「お稽古」をしたかと思うほどの身のこなしは、

昨日今日の役者にはできない芸であり、

上手いぶらないところは、深いところにある自信からきていると思う。

それは、

お稽古と、研究し続けていることによる自信。



自信といえば、

尾上松緑にも、

似たものを感じる時がある。

松緑も、自分の身体をよく知っていて、

身体能力を生かした、キレの良い踊りをスカッと見せてくれる。

どれだけお稽古したかと思う上手さが、松緑にはある。


早世した父親 「辰之助」 も、とても踊りが上手かった。



亡くなった市川団十郎、今もハリキイボーイな尾上菊五郎とともに、

若かった当時、

団十郎→新之助、菊五郎→菊之助、松緑の父→辰之助と、

三人の華の時代があり、

松竹は、「三之助」として、大いに売り出していた。


これって、私が高校生の頃だったかしら?



ついでに言わせて戴ければ、

猿之助もまた、踊りが上手い。

亀治郎の頃から、群を抜いていた。

小さい身体ならではの上手い踊りだと思う。


彼の唯一、困ったところは、

「どうだ、上手いだろ...」 っていう私心が見えてしまうところなのです。


これがなければ、

どんなに...! と、思うのです。

観る度に、思ってしまうのです。



天界の三津五郎はんにお願いがございます!

猿之助が踊り始めたら、

舞台の上から、

「自然に演れよ...! 上手いぶるなよ...!」って、言ってほしいのです。


それでも、上手いぶっていたら、

勘三郎のお兄さんと二人で、叱ってやって下さいませね。

そして、

猿之助の芸を、高みに持っていってあげて下さいませね。



説得力のある踊り、

それが、三津五郎の芸だったように感じております。


説得力のある人は、ダメ出しのポイントも外しません!


「俳優祭」の時の、三津五郎の笑顔を思い出しつつ、改めて、合掌。


さ、

ご長男、頑張れ!

頑張れ、巳之助!



(終)




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